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路線探訪-智綾線(鷺山~瀧ノ宮市)


芝野(しばの)

 芝が青々と茂った野原であったことからつけられた芝野。その名の通り環境が良いことから、昭和中期の高度成長期に、精密機械工業を中心とした芝野工業団地が造られて、多くの企業が誘致されました。朝になると、芝野駅やお隣の鷺山駅から企業の専用バスが多く出ています。
 また、駅の西側は閑静な新興住宅地で、東西で全く違う一面を見せてくれるのが芝野の大きな特徴と言えます。

剣山寺(けんざんじ)

 駅名の由来となった剣山寺は、駅東口から徒歩10分の所にある小さい丘のてっぺんにあります。創建されて500年以上の歴史を持つ古刹で、本尊は不動明王。了稔(りょうねん)上人が、不動明王がこの丘に剣を突き立てる夢を見て、この寺を建てたと言い伝えられています。
 毎月28日の縁日のほか、第一日曜はがらくた市、第三日曜にはフリーマーケットが催され、多くの人が訪れます。

土実野(とみの)

 JR線との連絡駅で、智綾線の中でも中堅クラスに位置する土実野駅。駅周辺は住宅地である一方、西都府有数の名山「志頭山(しずさん)」への入口でもあり、休日になると駅前のバス停に観光客が並んでいます。
 土実野という地名は比較的最近つけられたもので、昔は「止野(とめの)」といいました。土の質が悪くて植物の成長がすぐに止まってしまったことからつけられたそうですが、1960年(昭和35年)に大手不動産会社がこの地を住宅地として売り出す際、縁起のいい名前にしようということで「土実野」の字を当て、住宅地の発展と共に名前が浸透したために、1969年(昭和44年)に地名自体が「土実野」となり、駅名も変更されたのでした。

北酒賀(きたさが)

 土実野を過ぎると、電車は酒賀町に入ります。酒賀町に入って一つ目の駅が北酒賀駅です。このあたりは酒賀町の北に位置するため、北酒賀の名が付けられました。
 土実野霊園の最寄り駅であるため、墓参の季節になると多くの人が訪れ、臨時バスも運行されます。

酒賀(さが)

 酒賀町の名産は、志頭山脈から流れてくるきれいな水を生かした日本酒です。町名の由来もそこから来ており、町内の酒賀神社には日本酒の菰樽(こもだる)が沢山奉納されています。
 酒賀駅の東側は自然が多く残り、酒蔵が軒を連ねていますが、西側は逆に住宅の開発が今も盛んに行われています。

鉢ケ池(はちがいけ)

 駅を出て西側にある鉢ヶ池は、古代の書物にもその名があるほどの歴史がある池で、古代の人がこの地をすり鉢のように丸くえぐって溜め池を造ったのが始まりと言われており、鉄道が敷設された際、この池の名前がそのまま駅名に採用されました。
 現在は池の周りに公園ができて、人々の憩いの場として親しまれています。

松郷(まつごう)

 かつては西智電鉄直営の「まつごう遊園」のあった松郷。開園日のみ運転される遊園支線の分岐駅でしたが、1984年(昭和59年)3月末に遊園地が惜しまれつつ閉園されて、はや18年。遊園地の跡地は新興住宅地として様変わりしてしまい、駅前の、観覧車をかたどった記念のオブジェが、この地に遊園地があったという数少ないしるしになっています。支線も閉園と同時に運行休止となりましたが、最近では沿線人口の増加に伴い、通勤路線としての運転再会の期待も持たれています。
 松郷の名は、「松の木が沢山生えている里」という意味で、住宅地となった今でも、至る所に松の古木が残っています。

谷松(たにまつ)

 このあたりは松がたくさん生えている地域で、隣駅の松郷とともに、地名に「松」がついています。
 駅から徒歩20分のところにある谷松神社の境内に生えている「明神の松」は樹齢500年以上といわれる古木で、根元には小祠が祀られ、長寿の神様として親しまれています。

森野(もりの)

 その昔は木々が生い茂り、まさに「森野」といった感じの土地柄でしたが、現在は人口も増え、通勤急行も停車します。
 環境が良かったことから、この地に国立結核療養所が建てられたのは1939年(昭和14年)。現在は「国立療養所・西都南病院」と改称され、地元の医療機関としてはもちろん、他地方の人も病気治療に訪れています。

北大谷(きたおおたに)

 河内川橋梁を渡ると、西京府南東部の中心都市、大谷市に入ります。北大谷駅は大谷市の市街地の北端に位置し、市役所や市立病院の最寄り駅でもあります。
 駅から徒歩15分のところにある筆池公園は、市民の憩いの場として老若男女に親しまれています。

河内大谷(かわちおおたに)

 大谷市はその名の通り、周りを山々に囲まれた谷の部分に位置する都市です。近年はベッドタウン化が進み、市内の至る所に新しいマンションや住宅が建てられています。開発が進んでいるとはいえ市内には緑が目立ち、歴史の古い神社仏閣が多いのも大谷市の特色で、落ち着いた街の雰囲気に一役買っています。智綾線の前身、智綾鉱業(大谷電気軌道)の時代は、この大谷駅が起点でした。

薬師台(やくしだい)

 智綾線の車輌区がある薬師台駅。駅から徒歩10分のところにある「大谷薬師」こと薬園寺から名前を取って「薬師台」と命名されました。薬園寺を開いた円治上人は境内にあらゆる薬草を植えて、自ら薬を作っては村人達に調合法を気軽に伝授し、大変慕われたといいます。現在でも市内の製薬メーカー・長池豊栄堂が、円治上人処方といわれる胃腸薬「泰治丸」を発売しています。

清水橋(しみずばし)

 山間部ではありますが、新しい住宅地が開かれている清水橋駅。駅前からは住宅地へ向かうバス路線がいくつも引かれています。
 清水橋は駅のそばに架けられている橋で、「清い水の流れに架けられた橋」ということで「清水橋」と名付けられたといいます。

岩瀬(いわせ)

 大谷市の住宅地から再び山間部に入り、しばらく行くと岩瀬駅に着きます。地名に「岩」がついているようにこの地は固い岩盤で、昔は駅のそばに大きな採石場がありました。現在では操業をやめていますが、山の岩肌を大きくえぐった跡地は健在で、今でもドラマや映画の撮影に使われていたりするとのことです。

雨谷(あまたに)

 雨谷駅は雨谷温泉の最寄り駅ですが、湯坊温泉のような賑やかさはなく、静かに過ごせる場所として、主に中高年層に根強い人気があります。
 雨谷の地名は、雨が降るとすぐに水が溜まるような小さな谷だから、ということのようです。地名に「雨」がつくからというわけでもないのですが、静かなこの地には、しとしとと降る小雨の情景がよく似合います。

柱本(はしらもと)

 このあたりは杉を中心とした高木が多くそびえ、まさに天をつく柱が何本も立っているかのようです。柱本の地名はここからついたとも言われていますが、はっきりとした由来はよくわかっていません。駅から徒歩15分の森の中には、木の神である柱本神社が祀られています。

湧泉寺(ゆうせんじ)

 湧泉寺駅の目の前には既に寺への参道が延びています。1283年(弘安6年)に開かれたという古いお寺で、境内には眼病治癒に御利益があるといわれる「源四郎地蔵」があります。
 昔、源四郎という男が眼病に苦しみ、ほうぼうの医師をあたったもののまるで効果がなく、すがるような気持ちでこの寺にお参りを続けたところ、ある夜の夢枕に地蔵菩薩が現れ「この寺の湧き水で毎日目を洗い、私がこれから言う薬草を集め、煎じて飲みなさい。きっと見えるようになるはずだ」と言い、煎じ薬の処方を教えました。その通りにしたところすっかり眼病が治り、喜んだ源四郎は、お礼に自ら地蔵菩薩像を彫って、この寺に寄進したのが「源四郎地蔵」の始まりということです。
 その処方を元に、戦前は寺で「晴眼湯(せいがんとう)」という煎じ薬を製造・販売していたそうですが、薬事法が厳しくなった現在は作っていないそうです。

智綾新都市(ちりょうしんとし)

 智綾線では一番新しい駅、それが智綾新都市です。開業は1975(昭和50)年で、当時は山を切りひらいただけの殺風景な土地でしたが、現在は沿線のベッドタウンとして、多くの人々が住んでいます。一昨年、駅の改築工事が終了して2階建ての駅ビルが完成し、書店「ブックスSAICHI」、コンビニエンスストア「プチマート」、レンタルビデオ店「ベストワン」の3店舗が入店、人気を集めています。

竹尾(たけお)

 電車は滝本市内に入り、竹尾駅に着きます。竹尾はかなり古くからある集落で、至る所に竹林があるところからこの名が付いたと言われています。タケノコがおいしいことでも知られるこの場所。駅前にある「とびさわ食堂」のタケノコご飯は、コラムニスト・上村次郎の著書「駅前食堂放浪記」でも取り上げられるなど、絶品と評判です。

小須田(こすだ)

 滝本市の中心に近い小須田は、比較的閑静な住宅地です。小須田という名前は昔からこのあたりの集落の名前ですが、由来ははっきりわかっていません。ただ、昔はこのあたりで田んぼが開拓されていたという記述が古文書にあり、それが地名にもかかわっているのではないかと言われています。

和智滝本(わちたきもと)

 和智県北部の中堅都市である滝本市は、山の緑に囲まれた町。近年はベッドタウンとして見直され、人口も増えつつあるそうです。
このあたりは山が多いせいか滝が至るところにあり、滝本の地名もそこからついたと言われています。中でも一番有名なのが「昇龍の滝」。駅からバスで約20分、最寄りの「昇龍の滝入口」からさらに歩いて15分。高さ約80m・幅約6mの壮大な滝は、まさに名瀑と言うにふさわしい美しさがあります。

和智山崎(わちやまざき)

 滝本市内で一番古いお寺と言われているのが、和智山崎駅下車徒歩10分の所にある「山崎不動尊」こと霊明寺です。境内は山の端にあり、滝があります。この滝に打たれ修行を積んでいた宗覚大師が悟りを開き、この寺を建てたといいます。
 宗覚大師は書の名人と言われ、大師を祀るお堂には、たくさんの筆や硯が奉納され、書の上達を願う人が多く参詣に訪れるということです。

岸上(きしがみ)

 滝本市街を抜けた電車は、このあたりから勾配に入ります。岸上駅あたりはまさに川の上流といった感じで、地名もそこから付いたと考えられています。
 近年、駅東側で宅地造成が行われたことで、乗降客も増えつつあり、駅前にも活気が出つつあります。

三根川(みねがわ)

 このあたりは自然に囲まれ、駅前に集落がある程度の静かな土地です。三根川とは線路のすぐそばを流れている川の名称で、三つの源流が一つになって川として流れているいることからその名が付いたといいます。

牛頭(ごず)

 初めてこの地名を見た人で、「ごず」と正確に読める人はおそらく少ないのではないでしょうか。この地に鎮座する天王社の祭神・牛頭天王(ごずてんのう)が地名の由来になっています。かつてこの地に疫病が流行った際、地元の人が疫病退散を願って祀ったのが始まりとされ、現在でも地元の人が深く信仰しています。

和智天木(わちあまぎ)

 和智天木駅近辺は森林に囲まれています。特に杉を中心にした高木が多いのが特徴で、天を衝くような木々ということから「天木」の地名がついたと言われています。
 林業会社の工場が多いのも、このあたりの特徴です。

奥谷(おくたに)

 奥谷は、その名の通り山の奥まったところにあります。和智天木と同じく林業が盛んな土地ですが、近年は乱伐が問題視され、地元の林業組合が中心となって、5年前から植林計画を進めています。
 駅前にある「木の工房・おくたに」では、地元の木を使った木工品が人気を集めていますが、特に人気なのは、檜を玉状に加工した「バスボール」(10個入り1000円)。お風呂に浮かべれば檜の良い香りが漂い、マッサージにも使えて心身共に疲れが取れると評判です。

智綾山口(ちりょうさんぐち)

 桜の名所、智綾山。智綾山口駅は文字通り、その智綾山への玄関口です。駅西部一面に広がる山々は、春になるとそれは美しい桜色に染められ、心を洗われます。
 もともと、鉱石の輸送を目的に設立された智綾線ですが、現在では鉱山も閉鎖されて、すっかり観光路線に様変わり。しかし鉱山の面影は、駅前に祀られている智綾神社の末社金山社で毎年11月に行われる「ふいご祭り」にかすかに残されています。

智綾一ツ橋(ちりょうひとつばし)

 一ツ橋というのは、駅前から歩いて5分の所にある、比較的大きな橋です。かつて駅東部に鉱山があったころ、山で働く人々はこのあたりに住んでおり、この橋を渡って仕事場へ行っていました。橋のたもとにはいつのころからか、仕事の無事を祈るべく石仏が建てられ、そのご加護もあってか、鉱山が閉山されるまでの間、大きな事故は一度も起きませんでした。現在、石仏は長い年月を経て風化が進んでしまったため、智綾山口の隆玄寺に移され、2代目の新しい石仏が橋を見守っています。

湯本(ゆもと)

 湯本は文字通り「湯の町」で、町内の至る所に旅館やホテルがあります。特に春は、智綾山の桜を見ながら温泉に入れるというのが人気を呼び、多くの観光客が訪れています。特に、創業60年以上をほこる町内最古の旅館「みよし」は、和風の落ち着いたたたずまいと、絶景の露天風呂が有名で、ガイドブックにもしばしば掲載されている人気の宿です。

瑞堂(ずいどう)

 瑞堂周辺に伝えられている「烏天狗伝説」。その昔、この地に住んでいた長生きのカラスが天狗となり、たびたび不思議な現象を巻き起こしたというのです。ある時は村人をさらうイタズラをしてみたり、またある時は神通力で雨を降らせて山火事を消してくれたりと、様々な言い伝えが残っています。その烏天狗を祀った瑞堂寺が、地名の由来となっています。

志石山登山口(しせきさんとざんぐち)

 智綾山のちょうど南側に位置する山が、志石山です。智綾山ほどの華やかさはないものの、周りの山より比較的標高が低くて登りやすく、山の中腹には猿園や野草園などの施設もあることから、親子連れの登山客もよく訪れます。

瀧ノ宮市(たきのみやし)

 智綾線の旅も、ここが終点。瀧ノ宮市は水と緑の多い町です。自然環境が良いことから、この地は昔から養蚕・紡績の町として栄えました。大手総合化学メーカーのタキボウグループは、この地で創業した「瀧ノ宮紡績」が母体です。現在は本社も西京府中央区に移転し、工場も閉鎖されましたが、市内にある「タキボウ記念病院」はその名残です。
 瀧ノ宮の地名は、市内にある清滝神社がその由来といわれています。滝がご神体で社殿がないという、原始信仰が現代まで残った珍しい神社です。