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西鳳都市開発鉄道


西鳳都市開発鉄道は西鳳都市開発さんと目黒車輌とで、西智の世界にニュータウン新線を作り上げた共作架鉄です。目黒の方で提供したのはまっさらな地図にざっくりとした路線のみ。車両の西鳳カラーやサインデザイン、WestyMallなどの街づくりは全て西鳳さんによるものです。本当にセンスが良くて改めて驚きです。

 

現在西鳳さんはサイトを閉鎖していますので、ウェブアーカイブと当時の資料、記憶を基に現在風にアレンジしてこのページにまとめました。残念ながら西鳳さん制作の資料をここにあげる事はできませんが、目黒の方で制作したもので残存していたものを含め一部ご紹介します。空港延伸など設定が2002年以降のものについては今回追加で書き足したものです。設定は西鳳さんと当時決めたものに矛盾しないよう注意していますので、気づいたら修正を加えるかも知れません。

 

いつかまた共作できればと願いつつ。


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西鳳都市開発鉄道

現在閉鎖中のため、web archiveにリンクしています。 

西鳳都市開発

現在閉鎖中のため、web archiveにリンクしています。 



概要

 

西鳳都市開発鉄道(以下西鳳線)は西京府内最大の大規模ニュータウンである「東河内ニュータウン」と都心を結ぶアクセス路線。西阪電鉄の山之内駅とニュータウンの中心である松風台を結び、およそ半数の列車が急行として西阪電鉄の船宿へ直通運転している。

また山之内より河内市内を経て阪江国際空港へと延伸し、空港からは松風台への線内直通、および山之内より西阪電鉄に乗入れ、和智県の東和智市まで直通運転を行っている。


社紋

 

開業当時は□(四角)内にS字のシンプルなロゴマークを使用していたが、2002年頃より西鳳都市開発の鳳凰をあしらったものに変更されていった。この新ロゴは西鳳都市開発グループ共通のものである。


駅紹介

第1期~3期開業区間

 

山之内駅(西阪電鉄管理駅)

1923年(大正12年)10月1日に当時の西阪鉄道が鷺山~井原東(現在の東井原)間を開業させた際に設置された。元々は付近の山王神社への参拝客輸送が目的であった。

 

駅はJR河内駅より東に3kmほど離れており、隣の東出海や粕谷と変わらない長閑なローカル駅であったが、ニュータウンの出現で一変する。(急行は河内市の玄関口として停車していた)

 

開業当時より2面2線であり、これは1974年(昭和49年)7月1日の西鳳線開業の際に2面4線化されるまで変わらなかった。

現在は外側2線を西阪電鉄線が、内側2線を西鳳線が使用し、上下方向別に同一ホームでの乗り換えが可能となっている。空港方面開業までは駅の上り方に西阪電鉄線に挟まれるかたちで2線の留置線があり、線内運用は一旦引上げてから折り返していた。

 

1965年(昭和40年)に開業した駅ビルは駅西口にあり、バスターミナルが併設されていた。駅の東側は開発が遅れており、農地が点在していた。東口改札は跨線橋の東端にあるシンプルなものであった。

 

2006年(平成18年)の東西連絡通路完成と駅ビルのリニューアルに合わせて東口にバスターミナルが新設され、ニュータウン方面へのバスは始発が東口に変更になった。2018年(平成30年)には一帯の再開発が完了した。

同年に空港方面が延伸開業。上り方の折返し用の留置線は撤去され、西阪電鉄上り線をくぐるための下り勾配が設けられた。これにより西鳳線の山之内止まりの運行は消滅することとなった。(西阪電鉄線は船宿 - 山之内間の各駅停車が多く設定されているため、駅の下り方に折り返し用の引き込み線が設置された)

 

山之内を発車した西鳳線は勾配を駆け上がると、左にカーブし西阪電鉄線の下り線を跨ぎ、都市計画道路の中央へと降り次の鷹山台へと向かう。

鷹山台駅

 

西鳳線の一期区間開業時に隣の若竹台と共に設置された高架2面2線の中間駅。駅の周辺はまだ山之内と同じ低地であるが、周囲には東河内台地の丘陵が見え始める辺りである。「一番街」として1965年(昭和40年)に最初に開発されたエリアで、別名「かえで台」とも呼ばれる。開発当初の9年間はこの路線もなく、河内、山之内方面へそれぞれ河内バス、西智バスが通勤輸送を行っていた。駅前の巨大なバスターミナルはその名残である。

 

現在はニュータウンの中心からは外れた地域であり、開業から長らく乗降客数が線内最低の増加率となっていたが、2006年(平成18年)の空港、河内市中心部への延伸でその利便性が人気を呼び、その後、急激な発展を遂げた。現在は乗降客数が松風台に次いで二位となっている。

ただし初期の公営住宅は建設から50年以上経過しているものも多く老朽化が目立ち、また住民の少子高齢化も起きている。松ヶ丘や松風台方面、また都心方面への移住が増加した事から、2000年頃より順次再開発が行われている。

若竹台駅

 

一期区間開業時の終点がこの若竹台である。駅構造は高架の1面2線。駅前には「二番街」が広がり、この駅が東河内ニュータウンの玄関口となっている。1980年(昭和55年)には西智電鉄の船宿へ直通運転が始まった。1992年(平成4年)に松ヶ丘へ延伸するまで12年もの間、若竹台が終着駅となっていた。開業時期が近い鷹山台とは同じ問題を抱えており、2010年(平成22年)頃より再開発が行われている。

松ヶ丘駅

 

1992年(平成4年)の松ヶ丘延伸時に開業。この辺りは台地の谷間を都市計画道路と共に走る。駅構造は地平の1面2線。駅本屋は橋上にあり、駅北口と南口へ向かって都市計画道路を跨ぐ通路が設けられている。

 

「3番街」の中心となる駅であるが、バブルの時期に計画されていた大規模オフィスセンター等の都市計画はすべて見直しとなってしまった。このエリアでは松風台のような高層建築も見られない。この頃から東河内ニュータウンは西鳳一社での開発に移行して行ったため、街並みは独自色を強めていく。街並みを見れば統一感を持たせる工夫とそれを守る住民の協力が見て取れる。近年はデザイナーズマンション等も多く、ドラマのロケなども良く行われている。市営の図書館もあり、個人経営のカフェ等も多く、いわゆるお洒落な街として人気が高い。

 

駅開業時にはオリジナルの1000系が登場し、西智借入車も西鳳カラーを纏った。船宿への直通急行運転が始まり、西鳳線にとっては象徴的な出来事であった。

 

松ヶ丘を発車した列車は勾配を駆け上がり再び高架へ。並走してきた都市計画道路を跨ぎ、進路を南へと変える。

松風台駅

 

2001年(平成13年)に「四番街」が開業し、それに合わせて松風台への延伸が行われた。松風台は完全に西鳳都市開発主導の街づくりとなり、駅と駅周辺は巨大ショッピングモール、タワーマンションと一体でデザインされている。駅は地下2階1面2線。地上のショッピングモール"WESTY MALL"と一体化した構造であり、共通の内装デザインで造られた。複雑な東河内台地の中にあり、駅自体が丘の中に設けられているため、線路は高架から勾配を降りることなく地下2階ホームに繋がっている。

当初は駅周辺で全てが完結するコンパクトシティがコンセプトだったが、ニュータウン人口の増加に伴い、周辺の新興エリアへのアクセス拠点に変わりつつある。

 

線路は駅南側にそのまま延長されており、かつては東河内南部地区への延伸が計画されていた。現在はここに小規模な検車区が設けられている。(延伸計画参照)

第4期開業区間

 

河内台駅

 

山之内を発車した列車は勾配を下り、西阪電鉄線の上り線をくぐりながら進路を西へ変える。首都高速河内線直下を羽雁川堤に沿って走ると河内台に到着する。この辺りは河内市が地下鉄(未成線)建設のために確保していた用地であり、横断する道路がないため地上線であるが踏切がない。(西鳳線には全線踏切がない)

河内台駅は2006年(平成18年)の西鳳線空港延伸時に開業した2面2線の地上駅である。周囲は元々完全な住宅街であるため、駅は通勤用の色が濃く簡素で、駅前の広場や商業施設等は設けられていない。土休日の乗降客数は全航前と並んで西鳳線内で最も低い。西鳳側は河内中心部への速達性から当駅の設置を希望していなかったが、用地を確保していた河内市側の要望が強かったこともあり設置したとも言われている。

 

河内台を出ると線路はすぐに勾配を下る。ここからは終点の空港まで地下線となる。線路は地下で南に向きを変え西鳳河内へと向かう。

西鳳河内駅

 

河内市の中心部であり、河内電鉄河内中央駅、JR河内駅との連絡駅である。駅は地下4階で、地下2階の河内電鉄の河内中央駅と共に大通り直下に位置する。繁華街に近いJR河内駅と異なり、周辺はオフィスが多い静かなビジネス街である。大通りの中央にはかつて河内電鉄の軌道線が走っており、道路幅が非常に広い。JR河内駅とは地下街で繋がっているが200mほどの距離がある。この地下街のエリアが実質河内市街の中心となっている。駅名についてはJR側に沿った河内、河内駅前などの案、河内電鉄に沿った河内中央の案があったが、紆余曲折を経て最終的に西鳳河内に決定した。

駅は1面2線のシンプルな地下駅であるが、隣の河内台と異なり西鳳色を全面に打ち出している。空港まで一気に開通させたため、折り返しの設備は設けられていない。

 

西鳳河内を出ると線路はさらに西へ進路を変える。

青空島駅

 

河内の市街は古くから海辺の町として栄えた。河内駅より大通り、さらに西方へ進むとすぐに古い埋立地のエリアとなる。青空島は比較的新しい埋め立て地で、河内市街に近いにも関わらず、当時はオフィスビルもなく空を眺めることができたために命名されたと言われている。現在は空港関係、物流関係の建物が多く、また首都高速空港線も架けられ、空は見えづらくなってしまった。

駅は1面2線の地下駅である。

全航前駅

 

駅の階段を上がり地上に出ると、全航ビルが目前にそびえ立つ。乗降客はほぼ全航関係者であり、土休日の乗降客数は河内台ほどではないが大きく減少する。駅は青空島と同じ1面2線の地下駅。駅の見た目は青空島とほぼ同じため、誤降車を防ぐために駅構内には全航の広告のみを貼っている。

阪江国際空港駅

 

全航前から800mほどで終点の阪江国際空港となる。この区間は西鳳線内では最も駅間距離が短い。これは当時建設が計画されていた臨海高速線の新駅予定地を避けるため、当初の計画よりも空港駅が100mほど東に建設されたことによる。駅が離れたため空港への連絡通路には動く歩道が設置された。駅は南北に走るJR阪南空港線、西阪電鉄空港線とは直角に東西方向に位置するため、西阪電鉄との線路の接続は当初より考慮されていない。駅は1面2線の頭端式となっており、延伸も考慮されていない。地下4階に位置するが空港への連絡通路とはホームの西側先端で同階に接続されており、荷物を持った空港利用客に配慮した構造となっている。

 


運行

 

松風台~阪江国際空港間の各駅停車の他、松風台~船宿間の急行、そして阪江国際空港~東和智市(一部は入出庫のため東井原)間の区間急行が、それぞれ日中20分サイクルで運行されている。急行と通勤急行は西鳳線内では全駅に停車する。

ラッシュ時には船宿直通の通勤急行が10分間隔(朝上りと夕下りのみ。逆方向は急行)、各駅停車が10分間隔で空港まで運転されている。通勤急行は西阪電鉄線内では急行停車駅の楠之井を通過する。

 

 編成は線内折り返しが4両(ラッシュ時8両)、船宿直通急行が8両、船宿直通通勤急行が10両、空港~東和智市区間急行(以下区急)が4両となっている。(空港~東和智市方面の区急は日中のみ)

朝の通勤急行は船宿での折り返し後、急行として西鳳線へ戻る際、増結の2両を切り離して船宿電留線に留置する。これは途中の楠之井駅のホームが10両非対応のためである。(楠之井駅はホーム北側を踏切、南側をJR線の築堤に挟まれて延長ができていない)

朝ラッシュ後より夕ラッシュまでの間、2両編成6本は8両編成1本と4両編成1本に編成され、前者は西鳳線直通急行、後者は各駅停車東井原行で運行され、東井原より区間急行東和智市行となり、その後、空港~東和智市の区間急行として運行する。これは西阪電鉄8000系の乗入れ専用編成も同じで、船宿で2両編成と8両編成に分割され、2両は2編成併結される。

増解結は基本編成との場合のみ船宿駅で、増結編成同士の場合は船宿電留線で行われる。船宿駅での作業の都合上増結編成は基本編成の下り方に連結されている。西鳳線では全て松風台検車区内にて行われている。

 

区急は西鳳線内急行運転、山之内~東井原間は各駅停車、東井原~東和智市までは急行と同じ停車駅の設定である。

 

船宿直通急行には一時期、西阪電鉄側がクロスシート車を充てていたが、混雑のため現在は運用されていない。

 

そのほか臨時運転であるが船宿~松風台間に快速急行の運転実績がある。これはWestyMallへの集客を目的としたもので、土休日に西阪電鉄のクロスシート車を使用し運行されていた。西鳳線内は松風台まで停車しない。先頭にはWestyMallのヘッドマークを掲げていた。

 

西鳳線には長らく検車区設備がなく西阪電鉄の東井原検車区を使用していたが、松風台駅南側の延伸用の線路を転用し、検車区が設置された。ただし全車両は収容できず、一部が東井原検車区、船宿電留線に夜間停泊している。

 


ダイヤ

西鳳線の日中下りダイヤのパターン(接続含む)  西阪電鉄線は主要駅のみ。

種別

行先

船宿

大国橋

船堂

阪江

鷺山

国見ケ丘


阪江国際空港

全航前

青空島

西鳳河内

河内台

山之内着

山之内発

鷹山台

若竹台

松ヶ丘

松風台


東井原

出海井原

春崎

湯坊温泉

和智市

東和智市

 区間急行

東和智市

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10:32

10:37

10:40

10:43

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11:03

11:06

11:15

11:24

11:42

11:53

各駅停車

松風台

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10:42

10:44

10:46

10:48

10:50

10:52

10:53

10:55

10:58

11:01

11:03


急行

松風台

10:05

10:10

10:13

10:20

10:23

10:30


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10:42

10:43

10:45

10:48

10:51

10:53


区間急行

東井原

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10:40


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10:52

10:53

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11:09

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区間急行

東和智市

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10:52

10:57

11:00

11:03

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11:23

11:26

11:35

11:44

12:02

12:13



車両

 

1974年の山之内~若竹台開業時には所有する車両がなかったため、当時の西智電鉄より通勤型の5200系4両編成2本を塗装変更せずにリースして運行していた。まだ沿線の開発が進んでおらず輸送量が少なかったため、4両編成でも過剰気味であった。(近隣の西智線は日中の各駅停車が2両編成で運行されている)

また都心への直通も行われていなかった。西鳳に鉄道業務の経験がなかったため、建設部門以外の全業務を西智電鉄に委託していた。

 

1979年に若竹台周辺に「2番街」がオープンし、翌年には利用客増加のため、西智電鉄より5000系2両編成2本、6000系6両編成2本をリースし、西鳳線内の終日6両化を行った。いずれも当時はツートーンの旧西智塗装のまま運行されていた。

同年、各駅停車ではあるが船宿までの直通運転も開始した。

1992年の松ヶ丘延伸の際に輸送力増強のためオリジナル形式の1000系6両編成4本を導入し、同時に西智電鉄の5000、5200系を返却した。6000系は1000系に合わせた塗装に変更されていった。松ヶ丘開業時には船宿直通が急行化され、ラッシュ時には各駅停車と合わせ5分間隔での運行となった。

2001年の松風台延伸時に2000系8両編成2本を導入し、同時に1000系に中間車2両を新造し8両化を行った。1000系の新造中間車は2000系と共通設計で、内装が従来の1000系と異なっていた他、窓の形状で判別可能であった。ただし2012年のリニューアルの際に内装は統一された。他に前面貫通路扉が2000系と同デザインに改められた。2000系はその後の2003年に二次車が1本増備された。

 6000系は2002年までに西智電鉄での編成替えに合わせて返却された。これによりリースは不要となったが、西智線内での誤乗防止のため、西鳳線への直通車は全て西鳳カラーとする方針となり、リースではない西智電鉄の8000系8両編成(4両+4両)と増結用の2両編成が塗装変更の上で直通運用に充てられた。(ダイヤ乱れ時での非専用車の入線は度々行われている)

そのためラッシュの時間帯前後に船宿での複雑な増解結が行われることとなった。

 

2006年の空港~山之内間開業に伴い3000系4両編成8本が登場するが、これは先述の8000系とほぼ共通設計のため、外観からは車体の社紋、前面貫通路扉(西鳳の3000系は窓が無く形式番号が書かれている)で判断する以外見分けが難しい。

空港~東和智市方面直通区急と、空港~松風台の各駅停車に使用されている。直通区急は西智電鉄側からも乗り入れており、8000系4両編成と2両編成(いずれも西鳳塗装変更車)が優先的に充てられている。

 

また通勤急行の10連化用として、西阪電鉄の6000系先頭化改造車2両編成6本を譲り受け塗装変更を行った。6000系改造車は2002年~2004年にかけて6両固定の4両固定化改造の際に、余剰となったM+T車を先頭車改造したものである。側面デザインは1000系が元々この6000系をベースとしていたためほぼ同一、前面は2000系に準じたものであったため、既存の西鳳1000系、2000系と連結しても違和感がない。譲渡にあたっては、塗装変更の他、前面貫通路扉の交換が行われた。改番は行われず6000系のままである。

 


延伸計画

 

東河内南部方面

 

松風台より約3.5km南を東西に横断する河内電鉄線に新駅(東河内)を設け、松風台より西鳳線を延伸する計画があったが、2020年現在凍結している。これは河内電鉄線がニュータウンから離れたエリアを走行していること、またそれにより沿線の輸送量がさほど多くない為、現在のバスを置き換えての延伸のメリットが薄いことに起因している。(河内電鉄線は単線、2両または4両編成が7、8分~15分間隔で運行)

松風台駅は終点側(南側)が頭端式ではなく、将来の延伸を見越して一旦地上に出る構造で造られていたため、終点から地上側に400mほど線路敷設可能な土地が確保されていた。現在ここは幅が拡張され、8両編成4本を収容可能な小規模な検車区となっている。

 

東河内駅の周辺には市の施設がまとめて移転する計画だったが、これも凍結となっている。現地は人口の少ない河内川沿いののどかな田園地帯である。このあたりはニュータウン側からの高低差が激しい(川沿いの低地である)ため、幅の広い一般道の数が限られており、河内方面からニュータウンへの南回りルート、和智方面からのルートは常に混雑しがちである。現地に行政、物流の拠点を設けることで、東河内南部地区、またその先の大谷市の活性化が期待されていた。

 

また直接の影響ではないが、都心直通客の大半が始発の松風台より乗車するため、着席チャンスが減少することを懸念した乗客の反対意見も多かったとのこと。さらに都心側での「松風台行」のアピールと定着化を狙った鉄道側の思惑もあるとのこと。