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設定資料


池急博物館

 

池急線池上駅から下り方面の東矢口駅に向かう高架下に1995年にオープンした池急が運営する博物館である。元々は、静態保存のため復元が行われていた5300形5301-5451の二両を展示するための開放スペースとして準備されていたが、保管状態の改善を含め、まとまっていた資料を公開するための博物館として開業する事となった。地上の池上線と併走する区間であることから、館内の静態保存スペースと池上線とは線路が繋がっており、5300形は牽引されて搬入された。

運転シミュレーター等が設置され当初好評であったが、複線の高架下という事で非常に手狭であった。また最寄り駅からは住宅街を抜ける必要がありアクセスに難があったため、客足は芳しいものではなかった。

 

旧川崎横浜電気鉄道の560形の台車とポールが譲渡先で発見され里帰りした事から、車体を当時の姿に復原するプロジェクトが立ち上がったが、博物館に全長30mの車体を展示する余裕が無かった事から、博物館自体の移転も併せて計画された。

 

2013年に東玉川線学園前駅付近の旧工場跡地に移転しオープンした。開館は月曜を除く午前10時から午後17時までで、その間は東玉川~雪が谷大塚間の折り返し列車が20分おきではあるが設定された。(線内折り返し新設は10時から15時まで。それ以降は出庫の五反田行きが存在する)

 


【展示内容】

 

静態保存車

・5301車 5451車

・561-1 562-1 563-1(車体は復原の新製)

・7001車

 

5000形先頭部(元教習用)

6200形先頭部(運転シミュレーター用)

 



修学旅行列車(旧国鉄ひので号接続)

 

当時運転されていた旧国鉄の修学旅行用団体列車「ひので」に接続する団体専用列車。運行は1962年から1968年までの6年間であった。運転は池急線(霧ヶ谷~雪が谷大塚~池上~東神奈川間)の主要駅から横浜(旧駅)までとなっていた。関西方面からの「きぼう」号に対しては池急沿線への輸送需要が無いため接続の設定はされていない。

沿線地域の要望で運行開始となったが、団体の乗降可能な駅が限られており、実際は各最寄り駅から大型駅への移動、乗り換えが必要であり、便利とは言い難いものであった。

充てられた車両は当初5300形以外の6連であったが、1965年に5300形が増結可能に改造されるとこれに置き換えられた。5300形4連に対し、5000形列の各車2連が連結された。当時珍しかった5900形ステンレスカーはロングシートであるにもかかわらず、特に好評であった。

 

 1968年からは池上駅の高架化により、雪が谷大塚方面からの横浜方面乗り入れができなくなり、また都営線直通による輸送量の増加により、朝8時台前半の横浜着の運行が難しくなって来たことから、ひので・きぼう号廃止に先立つ1970年に修学旅行列車は廃止となった。

その後は旧横浜ホームが廃止される1984年まで、団体用としての運用は残り、主に沿線から横浜方面への遠足等に利用されていた。



線内優等運用について

 

池急本線では1968年より都営浅草線、1976年からは横浜市営地下鉄線との相互直通運転が始まり、両直通は主に優等列車での運行となった。各駅停車は線内折り返しであったが、朝夕のラッシュ時には急行での線内折り返し運用が組まれていた。

これは増大する利用客に対し、直通運用が全て最長8両編成での運行となっていたため、他社乗り入れを行なわない10両編成での優等列車補完が必要とされたためである。

これにはやや持て余し気味であった少数派の18m級非乗入対応車が充てられることとなり、4700形が10連化、2000形、5800形が8連化されて投入された。

最終的には乗入対応の6500形、6520形の増備、五反田での2連切り離しにより直通車の10連化が行われ、これらの非乗入対応車は本線から姿を消していくこととなった。



東玉川車庫と東玉川線

 

東玉川車庫(正式名称は東玉川検車区)は、池上急行東玉川線(雪が谷大塚~東玉川)の東玉川駅と学園前駅の間、0.6kmに渡って本線に併設された小規模な車両基地である。

 

単線の東玉川線に沿って4本の留置線が600m続く細長い車庫で、元々の複線用地を北東方向へ拡張したものである。周囲は閑静な住宅街で田園調布駅や奥沢駅にほど近く、そちらが便利なため東玉川線の利用客は著しく少ない。

 

東玉川線は全線単線で交換設備がなく、入出庫時の港北線直通と、平日朝夕の線内往復運行のみとなっている。


かつて池上電気鉄道時代、東玉川駅と学園前駅はそれぞれ新奥沢駅、諏訪分駅と呼ばれ、路線名も新奥沢線であった。国分寺を目指した盲腸線で輸送量は非常に少ないが、前述の車庫への入出庫と沿線の通学輸送の為、廃止されることなく現在に至る。

 

歴史的には池上線の一部であるが、雪が谷大塚駅の構造により蒲田方面との直通は無く、現在は港北線との結び付きが強い。雪が谷大塚駅からすぐに中原街道を横断する様はかつての京急空港線を思い起こさせる。こちらも渋滞緩和のため駅を含めての高架化が予定されている。

 

2004年まで車庫内に自社の整備工場が併設されていた。改造、廃車解体は全てここで行われており、該当する形式が集結する様がよく見られた。

 現在は港北線の車両のみが所属するが、かつては上記の改造、廃車対象車のほか、運用のない休車や旧型車も留置されており、マニアにとっては非常に興味深い場所であった。


池上急行を開設しました

 

たったこれだけですが、画像作成に思いのほか時間がかかってしまい、またサイトをほったらかし状態なのも気がかりなため年内に見切り発車しました。夏に再開設してもう飽きたのかよ、と思われてしまいそうですが、一応まだ飽きずに頑張っております。今回は初の実在土地系なので歴史から路線、車両(数)、デザインと進めて行ったのですが、最後の絵作りが大変。20年前のものは通用しない事に気づきの連続であります。しばらく絵の無い更新が続きますがお付き合いくださいませ。

2020/12/30