当サイトの内容はすべてフィクションです。
かつて旧サイトで公開していた画像や、未公開のコンテンツなど
茂名浦電鉄
2002年当時存在した架空鉄道「茂名浦電鉄(モナ電)」の車両。他作者さんのデザインをそのまま3D化したのは、この時が最初で最後です。
モナ電は、おそらく初めて全てのコンテンツに目を通した架空鉄道サイトでした。自分でもネットで架鉄を公開しようと決めたのもこのサイトがきっかけです。今でも架鉄作りの際にはどこかここを意識してしまいます。
小型~中型車(路面電車だったかな)なのにダブルデッカーやロマンスカーのような前面展望車があったりと、奇想天外な設定ですが、添えられた物語がそれに現実味を持たせていました。物語は専門的な機器の話が多く、私はそちらの知識に全く疎いのですが、それでも面白い。作者の好みがダイレクトに伝わってくる、その表現力がとても羨ましいです。
伊豆東京電鉄 I10000系
こちらも2002年当時存在した架空鉄道です。伊豆東京電鉄は東京から伊豆を結ぶ架空鉄道で、これからご紹介するI10000系の他は、113系や211系など実在の車両での運行を想像されていました。
目黒車輌のサイトを開設後、初めてご依頼を頂き制作したのがこの車両です。
伊豆東さんの原案を基に共同でデザインを詰めていきました。
結果、自分の好みや発想だけでは出てこないであろう車両が誕生しました。
当時のメールなどが消えてしまったので詳細は覚えていないのですが…
狭軌20m車体に3扉。16両編成でダブルデッカー車を下り側から5、6号車目に組み込み。
東海道線東京口と似た構成ですが、基本編成と付属編成には分かれていません。
車両の戸袋部には大型の液晶パネルが設定されています。(片側一か所のみ)
スカート周りとか、当時流行ったモナーっぽいなと思ったり。もちろん意識してはいませんでしたけど。
これはデザイン決めの最終段階の画像だったと思います。なので公開はしていなかったはず。
最終型(量産型)とは窓下のヘッドライト部の黒塗り範囲が違います。
こうしてみると思っていたより流線形ではないというか傾斜はきつい。JR九州の787系などもそうでした。あれは私が勝手にTGVをイメージしたからかも知れませんが…
こちらはダブルデッカー車。編成の中であまり出っ張らせたくないと思い、できるだけ平屋(?)の車両と形状を合わせた記憶があります。
当時は座席配置まで考えておらず、この構造だと一階窓側席はかなり足元が窮屈になりそう。
実はどちらかというと私鉄寄り、当時は18m標準軌好きで、まさに好みの真逆だったわけです。こういった機会がなければ手を出さなかったタイプの車両ですから、本当に貴重な経験をさせてもらいました。
合同架鉄(モ180形)
2002~2003年頃に進めていた合同架鉄は私の個人的な事情で消滅させてしまいました。参加頂いていたメンバーの方々、ごめんなさい。こちらから誘っておきながら。
その後も思い出しては設定を考えていました。お見せできる範囲でいずれ公開できればと思います。
画像はそのサイトに一時掲げていた旧型車で、特に詳細設定はしていません。形式も3Dデータファイルにあったものです。
最近、当時の画像フォルダからネットで集めた淡路交通鉄道線の画像が大量に出てきました。このあたりの車両をモデルにしたのだと思われます。
バス
バスの車体形式には全く疎いのですが、興味があり制作しました。
画像は合同架鉄用に作ったオリジナルラッピングバスで、背景は北山架空鉄道さん、ラッピングは西鳳都市開発さんが制作してくれました。
残念ながらサイトはなくなってしまいましたが、敬意を表して当時のバナーを。
もともとはこの西智バスのデータです。
そもそも西智電鉄の構想自体、この西智バスの為に用意された舞台背景に過ぎませんでした。
西智電鉄は知人との共作で、私がCGと鉄道全般、知人は初期構想とバス設定、サイトでは路線探訪を担当していました。
その後中京地区をベースにした架空都市(鉄道)を企画。駅名もついた路線図まで準備したものの凍結に。
知人によると最近はまた別の架鉄を企画しているのだとか…
バス(北米風)
2002年の末頃まで北米にいました。
現地でよく乗っていた実在のバスをモデルにしています。中部の雪が多い地域で、車体の裾部は雪と泥を跳ね上げていつも汚れていました。
愛着があって内装もできるだけ再現したので結構重かった記憶が。ただレンダリングするとリアルでした。
好景気の時代に地下鉄を作りそびれてバスが主体の都市でした。当時不景気真っ只中で中心部の老舗百貨店が廃墟になってたり。
とにかく意味もなくマンスリーパスで乗りまくってました。閑散ローカル線を乗り継いで帰宅した時の達成感、安堵感を今でも覚えています。冬場は近所でも下手に歩くと危険な寒さでした。
この一連の画像(3Dデータ)の中では最も古いもので、2000年頃に制作したものです。
東京郊外電鉄
東海電鉄(架空鉄道をつくる)さんのもう一つの架鉄です。
お願いして全形式を作らせてもらいました。
郊外線は二子玉川を起点に都内をぐるっと一周。西新井を経由し葛西か浦安(舞浜?)まで走る路線だったと記憶しています。
東急との乗入れなどつながりが深い設定で、車両もその影響があったと想定しています。
1000形
昭和30年代頃の車両。
左の東武2000系風の車両が1000形です。開業時の電車で非冷房。この手のモニター屋根が好きなんです。ただもう非冷房車に夏場乗るのはちょっとしんどいですね。
右のステンレス車は試作車の1090形。これは私の趣味で提案し設定して頂いた記憶があります。
この色にこのデザインだと名古屋市営ぽいですね。
余談…最近新品の私鉄電車のアルバムを数冊見つけて衝動買いしたんですが、そこに名古屋市営の旧型車が載っていて、改めてそのクラシカルな造形に驚きました。いや、40年モノの新品在庫があったことももっと驚きでしたが。
東急のイメージです。東急7000系と先述の東武2000系を合わせた雰囲気。時代的にセミステンレスでしょうか。鋼製車のほうは興味が薄く、こちらのステンレス車の画像が多めです。
試作車ってレアで大当たりなイメージで、相鉄の6000系のアルミ車とか大好きでした。
郊外線は2両→4両→6両と編成が伸びていったので、郊外線4両時代に製造された試作車は4両しかなく、6両化の際に鋼製車2両を追加して固定化。という設定だったと思います。
後年冷房化されるも廃車時期の近い鋼製車はそのまま、という図。一昔前の鉄道の雑多な感じが大好きです。
しかし黄色い2両はひときわ目立つでしょうね。夏場は乗ってはいけない危険な黄色。
山陽なんかはアルミ車に合わせて鋼製車をグレーに塗っていましたが経緯とか知ると面白いですね。
背景は何もないですが、築堤は二子玉川付近のイメージ。実家が比較的近いので郊外線といえばこのあたりを思い浮かべます。
2000形
昭和40年代頃の車両。
まだ郊外線が大型化される前の過渡期の車両ですね。TcMMTcの4両固定なので、中間ユニットを組替えて6両化したのか、1000形とつないだのか、輸送量の少ない線区に追いやられたのか。引退後は長電あたりの地方私鉄に譲渡されたのか。
車両性能方面は本当に疎いので全く考えていませんでした。今でもよくわからないので極力触れていません。台車とか床下機器作るのに致命的なんですが。
3000形
昭和50年代頃の車両。郊外線が大型化し6両化された頃のイメージで制作しました。モデルはそのまま東急8000系です。前面のデザインが同じ2000形との見分けがつかないため、アクセントで全面貫通路を黄色に、その回りを黒く塗装しています。 二子玉川(園)の駅に停まっていたら、東急線と間違えて乗ってしまいそう。
余談ですが、子供の頃によく読んだ鉄道図鑑。イラストがとにかく似てなくて東急車がこんなアンバランスな側面だったのを思い出しました。
4000形
昭和60年代頃の車両。
東急では9000系、JR(国鉄)では205系の登場した頃。前面3000形の色分けを踏襲し、額縁風のデザインとしました。
モデルにした東急9000系は東横線から撤退したものの大井町線の主に、JR東の205系は置き換えが進んで最盛期の1/6程度とのこと。
すでに登場から30年。郊外線に次世代の車両が登場していてもおかしくない頃ですね。
これ最近発見した第一回カクモエ(架空鉄道トーナメント)の時の支援物資です。ラッシュ直後の回送列車ということで窓ガラスに手の跡。
時間がなかったので車両は西智のものです。でも4000形後に新たな車両が登場していたらこんな雰囲気だったかも。アルミカーといったところでしょうか。
カクモエが2002年だから、当時は4000形の設定でもまだ登場してから10年ちょっと。十分新車扱いできてたんですね。2023年現在だと4000形クラスでも廃車になっている可能性が。恐ろしや20年。
改めて見てみると2000系~4000系はさすがに作り直したいですね。モデル車種は決まっていたものの図面を参考にしたわけでなく、バランスがおかしなことになってます。
いつになるかわかりませんが・・・。
東海電鉄
この画像は第一回のカクモエ(架空鉄道トーナメント)の際に、東海電鉄さんへの支援物資として制作したものです。いわゆるお祭りネタです。
夕暮れの富士山をバックに橋梁を渡る特急型電車。都営~京成方面へ乗入れ可能な18m車体。形式は45系と記載がありました。
名古屋からの東海道新幹線と速度(所要時間)は競い合えないですが、関東寄りの東海地区から成田空港へ向かうのであれば、重い荷物を持って都心で乗り換えする必要がないのは相当なメリットではないかと思います。
目黒車輌
最後は目黒車輌の内部をご紹介。
とはいっても特に架空の車両メーカーをやりたかったわけではないので、画像はカクモエのお祭りネタだったはず。
あまりお見せできないので画像は暗めです。(車両工場のディティールがわからなかったので誤魔化し)
終業後ってことで。
たとえば西智の世界に目黒車輌はありません。それは他の架鉄さん(郊外電鉄さんや伊豆東さんなど)の世界にも当然ありません。郊外電鉄さんの世界なら上記の車両たちは東急車両製の設定かも知れません。
あくまで目黒車輌はウェブサイトの名前です。
目黒なのはとりあえず付けただけ。ずっと目黒区住まいだから、の程度です。
100%東急のエリアで育ったので昔の東急のテイストが好きで影響を受けています。
大井町線で5000系、5200系~7200系に乗っていた世代。8000系も一部にキセだけ載せたニセ冷房車とか、ダブルパンタ撤去車とかを覚えています。その後7600系や7700系(赤帯のない6連)が登場したり6000系のインバータ試作車が現れたり、あの頃が興味のピークでしたが、9000系の増備で世代交代が始まり、つりかけ全廃ときて急激に興味が薄れました。そして近年ですが8590系の引退で完全に興味がなくなりました。今は東横乗入れの東武9000系が唯一の興味対象です。関東で興味があるのはもはや東武車だけになってしまいました。あの鉄臭さ・・・話がそれてしまいました。
大学生になり映像やるならMacintoshをと購入。すぐにCGソフトも購入して最初に作ったのが架空車両でしたが、当時はメモリが8MB単位で売っていた時代。やりたいことを実現するには時間とお金がかかりすぎました。
それから5年。当時パソコンの環境は劇的に進化しており、改めて車両を作り始めました。京急モデルの架空都市系架鉄を作っていましたが、まったくネットに公開する予定はありませんでした。
※調べたところ目黒車輌サイトの初期に短期間載せていました。
ネット上に架空鉄道サイトが存在することは知っていました。当時検索すると架鉄協会が引っ掛かりましたが、中身を読んで規約が多く敷居が高いと参加をためらったのを覚えています。
2001年末から2002年の初め、知人が突然バス路線の絵を送ってきました。またその設定として鉄道の路線図がついていました。これに口を挟み手を加えて始まったのが西智電鉄でした。
春頃にはある程度の設定が出来上がり、車両もそれなりに揃いましたが、まだネット公開はしていませんでした。
GWの頃だったと思いますが、モナ電さんの掲示板で画像を見て頂いたのがネット公開のきっかけだったと思います。
当時はカクモエ(架空鉄道トーナメント)が開催されたりとネット架鉄が異様に盛り上がっていました。
しかし第一回カクモエの終わった夏から秋頃には知人がほぼ西智から離脱し、冬には私の帰国もあってネットから離れがちになり、そのままほぼ活動を止めてしまいました。
その翌年には知人と南海・泉北乗車旅行に出かけましたが、当時は架鉄に対しモチベーションが低下しきっており、刺激を受けて架鉄に戻る事もありませんでした。(知人は高野線がイメージ通りだったと興奮しておりました)
サイト自体は2005~2007年頃まで細々と維持していた記憶がありますが、ウェブサイトの無料サービス終了が相次いだ頃に消滅していたようです。(infoseekは2010年終了でした)
興味が鉄道模型の方へ移ってしまい、15年ほど架鉄から離れる事になってしまいました。
西阪(西智)電鉄のこと、始めたばかりで止めてしまった中京急行、そして池上急行。定期的に思い出してはあれこれ妄想を繰り広げていました。数年前からは週に一度は考えるようになり、目黒車輛の開設20年(2022年)を前に、復活させてやろうと思い立ちました。当時のパソコンにCGデータが残っている事は確認できましたが、さすがに20年前のCGをメインコンテンツにはできないので、設定を基本的に継承しつつリメイクするつもりです。
上記の未公開架鉄ですが、画像を見つけましたのでご紹介。小田急、西武、京急、東急を合わせたような巨大な関東風架空世界の架鉄で、ちょっとそのまま公開するのは恥ずかしいレベル。
これはそのうちの京急に該当する架鉄の画像です。台車などはその後西智に使いまわしたので、これが目黒車輛の原点と言えるかも知れません。
しかし前面真っ暗じゃないか・・・
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