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2024/3/31開設
東京郊外電鉄1000系
※以下青字の内容については今回のリメイクにあたり目黒車輌で設定しデザインに反映したもので公認ではありません。
1954年、東京郊外電鉄の開業時に登場したのが1000系です。電動車2両編成のカルダン駆動で18m車体に両開き扉を備えていました。将来の連結運用を見越して前面には貫通扉が設置されました。塗装は鮮やかな黄一色と非常にインパクトのある車両でした。
豊玉線へ初期車が投入後、1958年には葛飾線が部分開業し1961年までに二次車が投入されました。二次車からは前面への行き先方向幕の設置やモニター屋根の採用など外観に変化がありました。さらに次世代の形式を見越したセミステンレスの試作車編成(4両編成)が最後に投入されました。全車非冷房でしたが最終の試作車編成のみ1980年代に冷房改造されました。
1983年から1990年までに3500系に置き換えられて非冷房車のまま廃車となりました。この時期には頻繁に連結が組み替えられ、6両編成の運用にも充てられていました。前面に方向幕を装備した二次車が方向幕のない一次車を挟み込む運用がよく見られました。
東京郊外電鉄1000系
左から初期車、二次車、試作車
左が二次車、右が初期車
初期車は開業時に投入された第1~18編成まで。二次車は葛飾線開業時に増備された第19~29編成。
1000系初期車
晩年は3編成併結の6両で運用されていた。
初期車のみ前面にサボを使用していた。画像の行き先は鷺沼。
1000系は大井町線、田園都市線、東上線に乗り入れた唯一の形式となった。
初期車は換気ダクトが車体肩部に設置されており、これが二次車との最大の外観の差異となっていた。
1000系二次車
葛飾線開業時に増備された第19編成から29編成までがこの仕様となった。
空調が車体肩部への埋め込み式からモニタ屋根タイプに変更になり、前面に行き先表示器が追加された。
葛飾線に増備された当時は路線が豊玉線と接続しておらず、暫くは葛飾線のみの運用となっていた。
二次車は丸みの強い初期車に比べ角ばった印象であった。
初期車の廃車と6連化が始まると、方向幕を装備した二次車のユニットが初期車を挟んで連結される事になった。ただし二次車の本数が初期車より少ないため、必ずしもそう組成されていたわけではなかった。
郊外線で前面の行き先サボが使用終了となったのは、初期車の廃車が進み残り5編成となった時期であった。
1000系試作車(1090系)
1000系最終増備の一編成のみステンレス試作車となった。外板のみステンレスのセミステンレス車両である。
基本的な仕様は1000系二次車に準じるものの、意匠は当時の製造メーカーの特徴が良く表れていた。
試作編成のため連番ではなく90番台が与えられ、1090系と呼ばれた。
後に続く2000系の試作という位置づけであり、編成も1000系では初の4両固定編成であった。機器類は1000系鋼製車と同様に全電動車編成であった。
郊外線の6両化が始まると1000系初期車、二次車と連結し運用された。
1980年代に入ると試作冷房車となり、しばし郊外線唯一の冷房車となったが、連結される鋼製車は非冷房のままであった。
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